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ラブラッドな声
献血に協力した人の声

ゲームを始めたら献血にハマっていたお話

位置情報ゲーム Ingressプレーヤー 
RedFaction in 
関東甲信越スタッフ nenkoさん

血圧も意識も低いアラフォー、献血活動に足を踏み入れる

「献血かぁ、偉いな~」
献血ルームの前を通り過ぎたときや、献血バスを見かけたとき、そう思っていた。完全に他人事である。低血圧で20代のころ献血ができなかったこともあり、自分とは遠い存在のように感じていた。「いつか時間ができたら、また行ってみようかな」は、やる気がないと言っているようなものだ。
そんな私が、初めて献血を行ったのは、40代に足を踏み入れた2016年1月のこと。きっかけは、位置情報ゲーム「Ingress(イングレス)」だ。知人のSNS投稿を見て何の気なしに始めたこのゲームは、全プレーヤーがふたつの陣営に分かれて、実際の場所をめぐって陣取り合戦をするというシンプルなルール。もともとゲーマーではない私にもわかりやすく、ただスマートフォンでプレイするだけではなく、ご近所や日本、世界のプレーヤーたちと望めば実際に会って友達になることもできる「Ingress」の魅力に、すっかりハマってしまった。
「RedFaction」というのは、その「Ingress」のプレーヤー有志が自主的に始めた献血協力活動だ。プレーヤー同士で決めた期間内に献血へ行くことを呼びかけあうもので、献血に協力すると、ゲームに関連するカードなど記念品が用意されていることもある。
「Ingress」にハマっていた私は、相変わらず献血は遠い存在ではあったものの「みんな行くなら行こうかな」という軽いノリで、初めての献血を体験した。いつの間にか低血圧も貧血も、加齢に伴い解消していたようだった。

「誘われる人」から「誘う人」になり慌てる

その後、「RedFaction」が開催されているときは献血へ行くということを何度か繰り返した。「RedFaction」の活動は、気づけば日本全国に広がっていた。日本赤十字社の地域ブロック分けに従い、「RedFaction」もそれぞれの地域のプレーヤーが盛り上げるようになっていた。「RedFaction in 関東甲信越」のスタッフに誘われたのは、そんなころだ。スタッフといっても、ほとんどのメンバーは普通の社会人で、「RedFaction」の開催日や記念品を相談したり、呼びかけをしたりという程度のものだ。
しかし相変わらず「みんなが行くから行く」スタンスだった私は、少し焦った。ぼんやり参加していただけなので、実は「献血」について、何も知らなかったのだ。それでは呼びかける文章も書けなければ、「RedFaction」に参加してくれるプレーヤーからの質問に答えることもできない。
そこからようやく、「そもそも献血とは何なのか」ということを意識し始めた。採血された血液がどうやって血液製剤になるのか、血液センター施設の見学にも行った。(※2021年1月現在、新型コロナウイルスの影響で施設見学は受け入れ見合わせ中)
献血の仕組みや現状は興味深く、より多くの人に献血に参加してもらえたらいいなという気持ちが高まった。

自分と社会との関わりを見つめるライフワークへ

そして2021年現在。今なお「Ingress」のいちプレーヤーとして遊び、「RedFaction」の開催について話したり、プレーヤー内の献血ファンコミュニティに属している。この4年間で大きく変化したことは、献血を自主的に楽しめるようになったことだ。「RedFaction」を開催していない時期にも、時間を見つけては献血へ行っている。
私は血小板が多く成分献血を行うことが多いので、献血ルームへの往復と検査、献血などで、トータルで3時間程度を要する。社会人にとっての3時間は、意図的に時間をつくらないとなかなか捻出することが難しい。でもその気になれば、時間のつくりかたは意外と簡単。とにかくラブラッドで予約を入れてしまって、自分のタスクリストの中での優先順位を全力で上げるだけだ。前の日は7時間寝て、朝ごはんをしっかり食べてから献血ルームへ向かえるよう、スケジュールを逆算しておく。もちろん、ふらっと時間が空いたときに献血ルームへ向かうでもいいのだ。
全血献血なら、もっと手軽に参加しやすい。私が献血をスケジュールにかっちり組み込むのは、「足を運んだが献血できなかった」「混んでいて待たされた」という余計な時間をかけたくないからで、ズボラだからこそ最短でキメたいが故である。

では、忙しい中でも献血の優先順位を上げるモチベーションはどこにあるか。ボランティア精神にあふれた人は「人のために役立つ」という理由だけで動ける。しかし冒頭に述べたよう、私は本来、意識が低く利己的な人間だ。もちろん、誰かの役に立てたり、献血ルームで看護士さんにほめられるとうれしい気持ちになる。でも一番の原動力は、「こんな私でも、ちゃんと予定を組んで献血できたぞ!」という達成感が得られることにあるような気がしている。自分のことばかり考えている私にとって、見知らぬ誰かのために時間をつくって貢献するというのは、とてもぜいたくな行為だ。それができた自分を誇らしく思えること――流行りの言い方だと、自己肯定感を積み重ねられることが、私がせっせと献血へ通う理由なのだろう。やっぱり、どこまでも利己的な人間なのである。

もうひとつ、献血推進活動をしていると興味深いことがある。同じプレーヤー同士や、Twitterのハッシュタグを追って見かけた人から、さまざまな人の想いに触れることができる。長年献血を続けている人、献血をしたくてもできない人、献血という制度に反対している人もいる。献血を含め数あるボランティアに対して、人がどう考え、どう活動しているかという軸で見ていると、自分にはなかった考え方を知ったり、思いがけず友人の新しい一面に触れることもある。とくに私たちのようなゲームで知り合ったもの同士は、ゲームに対するスタンスだけで相手を判断しがちだが、人にはさまざまな顔があることを改めて認識するきっかけになる。

少し時間を割くだけで確実に人の役に立つことができ、友達の新たな魅力に触れ、知らない人の存在に心温まり、自己肯定感もアップする。献血という制度、そして献血できる身体、このふたつがあることで、なんとも手軽に自分の存在が「いいもの」のように感じられる。
ゲームプレーヤー同士の交流が目的で献血を始めた私だが、いつの間にか献血を通して、人とのつながり…社会との接点を見いだすことにも、魅力を感じていたようだ。

だから、私はこれからも献血を人に薦めながら、自身もなるべく長く献血を続けられるよう、せっせと健康管理に努めていくのだ。