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ラブラッドな声
献血に助けられた人の声

僕に明日をくれたのは、
神様ではなく“あなた”です

山下 篤さん 
 

幸せな日々を過ごす中、突然宣告された「白血病」

妻が双子の出産を控えたある日、僅かな体重減少と運動をした際の息切れといった微妙な違和感しかなかったのですが、育休を取る予定だった私は、なにかあったら早めに治した方が良いかな位の軽い気持ちで病院に行きました。
そこで私に告げられた病名は「成人性急性リンパ性白血病」。

今思うとその時の私はショックを受けるというか、状況が全く飲み込めてなかったのか、感情がまるでなかったと思います。
ですが、診察が終わり扉を開けてからは、それまで普通に見えていた世界が急にモノクロの世界に見えたことは今でも忘れられません。

無菌室での孤独な治療、そして臍帯血移植

輸血の用途は、約8割が病気の治療に使われているそうで、そのうちの4割が、私のような、がんの治療だそうです。

私の場合、臍帯血移植を行うために、抗がん剤と放射線治療によって一度自らの病気になった、骨髄にある血液細胞を破壊し極限まで減らす処置を行いました。

入院当日から抗がん剤治療が始まり、退院までの半年間は常に体に管がついていて、何かを流されているような状態でした。
私が輸血を受けた時期は、治療のピークで精神的にも肉体的にも非常にギリギリな状態だった事もあり、正直記憶が曖昧なため、主治医の先生に改めて伺ったところ、「移植の前処置段階で3回、移植後に血小板輸血13回、赤血球輸血5回とあなたはかなりお世話になっているよ」との事でした。

あの時もし、移植後に安定的に輸血する血液がなかったら、きっと私はこの世にいなかったと思います。
今改めて思っても本当にたくさんの方々のおかげで生きることができたのだと思い、感謝の気持ちで一杯です。

医学が進歩した今でも、“誰かの善意”でしか救えない命があります

医学が進歩して、これまで治せなかった病気にも新しい薬や治療法という光がみえてきました。
でもこれだけ医学が進歩した今でも、血液は人工的に作り出すことはできません。
私のような治療を行う者にとっては、輸血できる血液があることによって治療に臨むことができます。
どんなにつらい治療に耐えても、血液が届かなければ助かることはできません。

今私が皆さんの前でお話しすることができているのも、あの日、どこかの誰かが献血をしていただいたおかげです。

献血は他人のために痛い思いをして、時間をさいて、メリット、デメリットで考えるとデメリットが多く正直面倒かもしれません。

注射が苦手だからしたくない、忙しくて献血をする暇がない
見えない他人のために、やらない理由は探せばたくさん出てくると思います。

でも、少しだけ思いを馳せていただけたらと思います。

ミエナイタニン
シラナイダレカ

記号のようなその言葉の先には、今もどこかで命の炎を燃やし、わずかな希望にかけて闘っている私たちのような患者がいます。

回復を信じて待っている家族や仲間がいます。

そして、それはいつ
あなたや、あなたの大切な人が貰う立場になるかなんてわからないこと。

献血によって助けることができる命があることを、
そして実際に助けていただいた私のようなものがいることを少しでも多くの方に知っていただけたらと思います。